BIO
早坂 義文

1958年2月27日、宮城県生まれ。1970年、柔道を学び現在5段、1972年泉武館剛柔流空手に入門、1974年剛武館剛柔流空手に入門、1976年兼相流柔術に入門、免許皆伝。1978年又吉真豊先生から沖縄古武術、金硬流唐手、喜屋武少林流、剛柔流唐手、少林派鶴拳を学び、1997年、免許皆伝。その間、喜納正興先生から剛柔流教士授与1981年、東北福祉大学社会福祉学部卒業、警視庁に入庁。その後、捜査1課、鑑識課検視官を経て八丈島警察署長で退職、警視正。2013年、根岸流第七代、白井流十四代、山本流居合術十六代宗家を継承。斉藤聰先生が研究した武術を継承。日本古武道協会正会員、日本古武道振興常任理事などを務める。
Martial Arts

山本流居合術
Ⅰ.緒言
山本流居合術は、成瀬関次元陸軍省軍属が実父、元桑名藩士成瀬正静から相伝された武術である。戦後、ほとんど演武されたことがなかったことから、失伝されたものと考えられていた。
しかし、この流儀は、日本古武道振興会前会長である故齋藤聰先生により、現代に継承されていた。ここに、歴史的な部分とその理念を解説する。
Ⅱ.山本流居合術の起源
流祖山本自見齋は、名を源助と云い、父亦兵衛に就いて京流・自見流及び林崎流を学び、その後、諸国を武者修行して武州に至る。
元禄年間頃まで江戸を中心に居住し、関口八朗右衛門氏心の高弟 澁川伴五朗に就く。関口流柔術を学び、柔剣両術から工夫綜合し、新免無二齋の自見流から中心を得て、ここに一術を開く。そして、名を自見齋と称し、山本流居合術を創始した。この流儀は、柳澤美濃守吉保 が元禄7年正月、松平の稱號を賜
り、川越城主になり、山本自見齋が、自流居合術師範として仕官の身となる。川越城下に新邸を賜ったことから以後、勢州桑名藩松平越中守 桑名、高田、白河、桑名及び武州忍藩松平下総守両家に伝承したものである。
Ⅲ.山本流居合術考
この流儀は、「禽獣蟲魚生来身に具る嘴角爪牙觸刺鱗甲ありて、害を防ぎ身を護り、進んで敵を破る。しかし、人は身に具りたる爪牙なく角刺なく、やむなく刀戟を使って敵を撃退する。この道具を使って、運用自在生来具足している様、武術に精通すること。それには、この道具 が先ず己が手に合い、身体の屈伸飛躍の自然に順応し、爪牙同様に身に付けるため、林崎流先師の抜刀法を考え、玄信先生刀戟の利鈍造形に苦心し、攻防の器財己が身に具はり始めて武術に至る。我れ関口流を学び體術の妙を知り、身に具足して刀戟を弄ならば、必ず猛虎の爪牙、或は乱蜂の芒となるべきを悟る。刀戟よく己が手に入り、手先と成たる上の武芸と知れば、居合はすべての武術に入る門なり。」と理念を述べている。
その技法は、向身7本、脇身抜方19本、中段使い方17本、脇身砕19本中段砕29本、目録表使い方11本を稽古し、秘剣、御工夫の剣楽翁公の御工夫と伝えられた技法は、文字に表さずに相伝の時、口伝として伝えるものである。